私は25なのである。
呪いの数字だ。
秋葉原で無差別大量殺人だそうである。
東京在住ながらアキバには2度しか行ったことがない私だが、たまたま仕事合間の息抜きにネット上をウロウロしていたので、発生から30分程度の段階で事件を知ることができた。
おかげで当日は一日、某巨大掲示板を追っかけるはめになったのだが、ネットがいかに市民にチカラを与えているかがよく分かった事件であった。
拳銃に手をかける警官と対峙する犯人、逮捕の瞬間、被害者の応急処置をする一般人。
現場の様子がほぼリアルタイムに発信されてくる。
一方で、リポーターとマヌケなオノボリどものアホ面ばっかり映しているテレビのキャプチャ画像がアップされ、ネタにされる。
既存メディアはいまだに「速報性」で競争しているつもりなのかもしれない(少なくとも“記者”と呼ばれる職業の人間はそう思っているように見える)が、ネットはそのヨコハラを掠めて情報を流し続けた。
犯人は25歳であった。
私と同じ、2000年に17歳であった人間である。
1997年、同じ中学生が子供を殺して、首を切り落とした。
1999年、世界は滅びなかった。
変な余韻が漂う中、2000年には「キレる17歳」と呼ばれた。
筆箱にカッターナイフを入れることも許されない、過剰な管理主義が横行した。
個性は恐怖の対象となった。
考えることが否定され、静けさを好む性質が否定された。
親すらも、自らの子を恐れた年だった。
思えば、私の思春期は「思春期の否定」に終始していたように思う。
「アイツらと一緒にするな!」
肥大した自己と、個人的寓話に彩られた言い訳で武装した、ひ弱な精神がキライだった。
合理性を否定する宗教的な心性、迷妄の世界に苛立っていた。
自分が同じ過ちを犯さぬよう、自己を相対化する方法を考え続けた。
私はちょっとずつ異なった役割を持たせた、自己の鏡像を大量に生み出した。
そいつらはやがて肉をまとい、動き出して、キャラクターとなった。
私はそいつらにナンバーを振り、そいつらひとりひとりが生きるべき、そして死ぬべき世界を用意した。
何度も生き、そして死んでいくそいつらを見る私を、そいつらもまた等しく見た。
そして、私もまたナンバーを振られた「俺」シリーズの一体であることに気がついた。
「俺」は私の内にあり、同時に私は「俺」の中のひとりであった。
それは私を大いに安心させた。
「俺」の多様性が、私の相対性と可変性を証明してくれた。
悩むヒマがあるのなら、考えろ。
全てを変えられると思わず、それでも変えようとし続けろ。
そう思っていた。
今でもそう思っている。
だから、私は攻撃する。
あいまいな諦観を抱きながら、攻撃する。
ただし、ナイフではなく、ロゴスで。
傷つくことを、傷つけることを恐れる心性が、弱きものを傷つける。
排除ではなく、信頼を。
すべての子供に、力強き諸刃の武器を与えよ。
ま、アレだ。
ヒトは殺しちゃいけんよ、と。
【ブログ主】
サルバドールの髭

コメントの投稿